玄米ごはんと福耳.com

日本人と「ごはん」と「福耳」の会


日本人から「福耳」が消える日

3-11陰陽と耳と目

コンビニ食

【3-11】

何度も先天の気(腎気)という言葉が登場しますが、東洋哲学や食養では腎臓の大きさや強さがその人の生命力に直結していると捉えます。

腎臓は老廃物や毒素を排泄し血液を浄化する大事な臓器で、肝臓の解毒器官と連動しながら我々生命体の『生命力の強さ』に直接関係するものです。

昔から、『肝腎要』と言われる所以です。

また、腎臓は『水の臓器』といわれ子宮や膀胱に繋がっていて、生命力や生殖力の要となります。

なかなか理解し難いと思いますが、目に見えない物を追いかけてきた東洋人である中国人や日本人は、耳は腎臓で目は肝臓と繋がっていると考えました。

詳しくはWEBでも簡単に検索出来ますが、陰陽と一緒に『五行説』も見て頂けると色々な事が分かってきます。

その耳が大きいということは、相対的にその人の腎臓が生まれながらに大きいこと事や強い事を意味します。

腎臓が大きいと生命活動に余力がありますので、それだけちょっとやそっとの食原生ストレスや外界ストレス、酒、タバコなどの害も強靭な肝臓と連動してテキパキと体外へ排泄する事が出来てしまいます。

この強靭な新陳代謝の結果、血液が常に綺麗でサラサラと体内を循環している為、その人が高齢になるまで何の不都合をも心と身体に与えない場合が多いと思います。

臓器ビルで考えたら、生まれながらに腎臓が超高層ビルで陽性体質の為、老廃物や毒素の排泄力や血液浄化力が極めて高いという事です。

しかし戦後、我々日本人は徐々にその耳が小さくなり耳たぶがなくなってしまい、福耳の方が大分減ってしまいました。

そして更に、その小さな耳が外側へ開いてしまい、相対的ですが耳の位置が上の方へ上がりだす傾向にあります。

陰性は遠心性で開く、広がる力、上に向かう力といいましたが、耳が頭から離れて外側へ広がって上に上がってしまったという事は、その人が高いレベルの陰性体質である事を物語っております。

また、同じ様に、戦後徐々に切れ長の目から瞼が開いてその中の瞳がよく見える様になりました。

目は肝臓で、これも瞼が開くという遠心性の力(広がる力)が強くなってしまい、この部分でも戦後、相対的に陰性体質へ変化している事が考えられます。

尚、耳が小さくて耳たぶが無くてもまだ、その耳が頭側へくっ付いていれば、腎臓が相対的に陽性に出来ていて生命力も強いのですが、耳が小さく耳たぶが無く、そして開いて上がってしまい目も開いてしまうと、腎臓や肝臓や他の臓器も含め相対的に陰性化してしまっていると思います。

陰性化するとは、血液が薄くなり身体が冷えて低体温化してしまい、老廃物の排泄や浄血、新陳代謝など全ての生命活動が滞ってしまいます。

言い方を変えると『気の流れが悪くなった状態』とも表現できますし、体内に毒素がどんどん溜まってしまいその結果、一番大事な血液も汚れてしまう事になってしまいます。

東洋や食養では、『血液は腸から作られる』と言われています。

アメリカの戦後政策のお蔭で学校給食から始まり、戦後の日本人は急速に洋風化された食事へ変わり、食品もどんどん工業化(機械化)されてしまい、今ではファーストフードやコンビニ、ジャンクフード花盛りの有様になってしまいました。

極陽性ではあるが血液をドロドロに汚す陸上動物の肉や卵、しかも殆どが人工的なクスリ漬け飼料で生命力が無く、また、極陰性である白砂糖や食品添加物や薬物などの生命力から真逆の方向へ導く食品を食べ続けてきたお蔭で、我々日本人の心と身体が中庸から大幅に外れバラバラになってしまいました。

一昔前では考えられない様な無差別殺人、凶悪犯罪、子供への考えられない様な虐待、昔は無かった様な超陰質なイジメ、自己中心的、自殺の増加、ストーカー、直ぐにキレる、躁鬱病などの統合失調症、引きこもり、ニート、知的障害、ダウン症、そして癌をはじめ病人と病院と医療費の拡大再生産と問題を上げたら切がありません。

そして、少子化問題です。

この少子化は女性だけの問題ではなく、男性にも同じように問題が発生しています。

『精子が足りない』とか『無精子』とか、最近では『奇形精子』なる言葉も耳にする様になりました。

これらの殆ど全ての『おかしな現象』は、戦後、農耕民族である日本人の尊い食性を犠牲にした上に成り立っていると考えられます。

3-12新生児の『開いた手』が物語る

アジ

【3-12】

『若杉ばーちゃんの本』に、「今の子供は『白ちゃん』や『青ちゃん』で産まれてくる」と書いてありました。

5年近く前に長男と2年半前に次男と、お蔭様で二人の出産に立ち会う機会に恵まれました。

その時の印象としてですが、産まれたての赤ん坊を見て何となく思ったのですが、「産まれたての赤ちゃんて、こんな色なの?赤くは無いんだぁ」と素直に感じましたが、余り気にもしていませんでした。

若杉ばーちゃんの本を読むまでは、です。

読んだ時に愕然としました。

父親と母親がどちらも陰性体質のお蔭で、何の罪もない自分達の子供を『白ちゃん』や『青ちゃん』にしてしまったのです。

当然ですが、うちの二人の息子の耳は開いていて耳たぶの無く、目は真ん丸です。

白色や青色は陰性側で、その先が紫で極陰性な『死』という事になります。

陽性から陰性への色の順番をもう一度、簡単に説明します。

遠赤外線の太陽と真っ赤の血の塊の赤ちゃん ⇒ 赤 ⇒ 橙 ⇒ 黄 ⇒ 白 ⇒ 緑 ⇒ 青 ⇒ 藍 ⇒ 紫 で、その先が遠紫外線の夕日で『死』となります。

親として、五体満足で授かった事に心から感謝していますが、本来は極陽性で真っ赤な血の塊である『赤ちゃん』として、当たり前にこの世に出せなかった悲しさや罪の意識を今でも私は感じています

特に、長男は産まれながらに黄疸が酷く、今でも身体は黄色で何度が小児科で診てもらったのですが、子供を殆ど診ずに「問題ない」や「大丈夫」と簡単に言われてしまいました。

体質的な概念が殆ど無い現代西洋医学の病院へ連れて行ったので、答は最初から見えていましたが、残念ながらやっぱりという感じでした。

もう少し丁寧に子供を診て、それなりの経験的な意見や考え、今後の対応などその先生の思いの様なものを僅かですが期待していたのですが、何にもありませんでした。

そして、その後のある日、母親の何気ない一言で私の人生や行動が一気に変わりました。

その一言とは、「今の赤ん坊は、手が開いているんだなぁ」と。

「今日見てきた赤ん坊も手が開いていて、昔はみんな親指を中に入れて握りしめていたもんだ」と不思議そうでした。

その時、『勉強不足や知らないという事は、とても罪な事だ』と、何か大きなハンマーの様なもので殴られた様な気がしました。

入院した産婦人科の病院は、産まれて直ぐに母乳を与える事が出来たので、私は何気なくその様子や寝ている時の様子を見る事が出来ました。

手を開いて笑っている赤ん坊の姿が、そこにありました。

その時は何も知りませんでしたので、気にも止めていませんでしたし、開いた手を動かしているのがとても可愛く感じた程度でした。

ここでまた、陰陽を簡単に再々確認します。

陰性とは、遠心性で開く、緩む、柔らかい、軽い、気体、冷、白や青や紫で生命力が弱い事を意味しています。

陽性とは、求心性で縮む、締る、固い、重い、固体、熱、赤や橙や黄で生命力が強い事を意味しています。

本来、極陽性の真っ赤な血の塊で、固く手を握り締めていなければならないはずの赤ん坊が、何故、白ちゃんや青ちゃんで手も開いてしまったのでしょうか。

単刀直入にいうと、産まれながらに陰性体質で相対的に生命力が乏しいと言う事です。

何もしなければ、何も手を打たなければ、相対的ですが『死が近い』と言うことになってしまいます。

私は予言者ではありませんが、非常に近い将来『第二、第三の沖縄県』が今後、日本中で続々と出てくるでしょう。

書きたくない言葉ですが、『逆さ仏』現象の拡大再生産です。

そうならない為に、各ご家庭の台所から日本人の伝統食に立ち返り、心と身体のバランスの取れた中庸状態に戻して行きましょう。

4-1狩猟民族の瞬発力と直線的思考

 

狩猟

【4-1】

 

大雑把ですが、この地球上には狩猟民族から遊牧民族や牧畜民族を通して生まれた『二元論』と、農耕民族から生まれた『一元論』という大きく二つに分かれた方程式が存在します。

この二つの方程式の『成り立ち』や『考え方』や『適正』を知る事により、我々日本人一人ひとりがより総合的な考えや判断をすることが今以上に可能となり、その人の健康や体質、病気になった時にどちらを選ぶかでその人の方向性(将来の結果)が決まってしまうほど、とても大事な事となります。

何かに書いてありましたが、「知らないは罪、知ろうとしないのはもっと罪」と。

現代は日本をはじめあらゆる先進国の殆どが、西洋的な二元論一辺倒になってしまい、あたかも二元論で全ての事が解決出来る様な錯覚に陥っているように思えてなりません。

また、この二つの方程式の存在すら知らない方も多い様に思われます。

ですが、その二元論と一元論の双方を知る事が、これからの時代において我々日本人には特に大事な事と確信しております。

また、アメリカの戦後政策におけるあらゆるプロパガンダのお蔭で、農耕民族である我々日本人が育んできた食性はもとより、宗教、文化、伝統、しきたり、立ち振る舞い、言葉遣いなどお金には絶対に変えられないほどの大事な事、日本人としての主体性(アイデンティティー)が戦後の洗脳政策のお蔭で殆ど消えかかってしまっています。

ですから、二元論と一元論の全体的な違い、ポイントを知っておく事がとても大事な事と考えています。

我々を取り巻く自然界の中では全てに於いて、必ず、因果律で出来上がっていて、『原因があって、結果がある』と考えられます。

世界的に見てこの二つの考え方の基は、あくまでも各民族が置かれたその過酷で厳しい風土の中を生き抜く為のFOODの違いによって出来上がった産物と考えています。

まず最初に、体型的なところから簡単に説明させて頂きます。

狩猟民族である西洋人は、典型的な農耕民族である日本人よりも身長も高くて胴が短く、手も足も長くて顔も小さく奥目で鼻が高く、ハッキリした顔立ちです。

性格的にも判断が速く積極的というか、攻撃的というか、常に自分を中心に考えていて白黒をハッキリとさせますし、瞬発力がとても高いと思います。

一方の我々農耕民族である日本人は、足が短く胴長でずんぐりむっくりで顔も大きくのっぺりしていて協調性や和を好み、持久力や忍耐力に長けています。

我々日本人は、『和をもって尊しとなす』的な白黒ではない『灰色の部分』というか、見えない部分を大事にしてきました。

表現方法も西洋人はジェスチャーを交えて、自分の意見や意志に強調やメリハリをつけます。

一方の我々日本人は、ジェスチャーを殆ど使いません。

ここから大雑把にイメージして頂きたいのですが、狩猟民族が原野で獲物を狙っている時の状況です。

まずは獲物を探すところから始まりますが、獲物を探し出す為に遠くを見渡す必要上、その時に逆光にならない様に『奥目』に進化適応したのでしょう。

獲物を獲得する前に、広大な原野で獲物を探し出す事が絶対条件です。

獲物に気づかれずに先に発見することや回りに敵がいないかなどと、常に瞬間的な判断の連続だったのでしょう。

要は、常にその状況がコロコロと変わっていったので、その場での迅速な判断力や行動力が、生死や獲物を獲得出来るか出来ないかに繋がったのでしょう。

そして、長身で手や足が長いということは、それだけ早く獲物を追いかけて走れますし捕まえ易くなります。

また、獲物と格闘する際や他の猛獣に遭遇した際に、その長身と長い手や足を使いアドレナリン全開状態で強靭な瞬発力をフルに活用して身を守る為に格闘したり、全速力で離脱する為には都合が良かったのでしょう。

そして、胴が短いということについては、獲得した獲物は動物の為に当然ですが食事は『肉食中心』になります。

肉食の毒素や老廃物により血液が汚れる事を最小限に抑える為に、日本人とは違い彼らの腸は進化適応の過程で必然的に短くなりました。

これは、穀物が十分に獲れない過酷で厳しい自然環境の中を、肉食民族として進化適応する為の『延命現象』と考えられます。

肉食から生まれる『瞬間的な興奮性』により、瞬間的な判断や行動、獲物と格闘したり生命の危険から離脱したりと、命がけの瞬発力を極限まで高める事が出来たのだと思います。

これらの精神的身体的変化は、この地球上の厳しい風土を生き抜く為の生物に与えられた驚異的な生命力の現れと考えられます。

そして当然ですが、何時もいつも狩りに行く度に獲物を獲得出来るとは思えませんし、取れなかった時の方が多かったのではないかと推測します。

ですから、少ないチャンスをものにする為に彼らの動物的な判断力や瞬発力、その獲物に対する非情なまでの高い攻撃性を常に必要としたのだと考えられます。

そして例えば、家族数人で獲物を追いつめる時などは、そこで大声をお互いに掛け合ってしまうと、その獲物は簡単に危険を感じて逃げてしまいます。

当たり前の事ですが、それでは人間様が飢えて死んでしまい、子孫を繋ぐ事が出来ません。

恐らくですが、そこに『ジェスチャー』の必要性があったのだと推測します。

遊牧民族や牧畜民族に進化しても、この『ジェスチャー』の必要性は変わらずあったのだと思います。

お互いの連携プレイで獲物を追い詰め獲得する為に、言葉を使わずに自分の考えや意志を離れた相手に素早く明確に伝える事で、獲物を獲ていたのでしょう。

過酷な風土を生き抜く為に、その必要性に迫られての結果ではないかと思います。

かなり大雑把ですが、いかがでしょうか。

ですから、獲物を得る為に彼ら狩猟民族は、農耕民族では考え付かない様な『仕掛け』や『道具』を工夫し続けました。

この辺あたりから既に、近代にイギリスから始まる機械文明へ発展する大元になったのだろうと思っています。

そしてもう一つは、直線的な思考の大元にもなったのだと推測します。

一旦決めた獲物に対して、自分からどんどん追い詰めて行くという事は、どんどんと自分が前に進んで行く事を意味します。

途中で後ろに戻っていたら、永遠に獲物は獲得出来ません。

後ろに戻るということは、獲物を獲得出来ずに家に帰る様なもので、恐らく、彼らにとって後ろに戻るという事は『負け』を意味したのでしょう。

負け続けた先には『死』があった訳で、『戻る』イコール『負ける』という事は彼らにとっては、『絶対にNO』となります。

西洋人は日本人以上に『負ける』という事にとても敏感です。

恐らく、狩猟民族時代から遊牧民族を通して西洋人まで続く、肉食民族の宿命であるかの様に感じられます。

『自然に負け』、動物という『獲物に負け』、『家畜に負け』、そして『他人に負ける』などと負けてばかりいたら、一つの民族として生き延びて子孫を繋ぐ事が出来なかったと思います。

他人に負けるとは、獲物を横取りされてしまう事を意味し、逆に、横取りするくらいの勢いを必要としたのでしょう。

ですから、車を後ろからぶつけて自分が悪いと分かっていても、彼らは罪を認めず謝らなくなる訳で、日本人とは対極的な思考になります。

昔ニュージーランドに滞在していた頃に、「ここでは、車を後ろからぶつけても、なかなか謝らないよ」と言われ、当時の私にはとても信じられませんでした。

かなり大雑把ですが、恐らく、何千年も何万年も『負けられない的思考』が続いたのでしょう。

二元論を基にする肉食思想は、どうしても『勝った、負けた』の世界を作り出し易く、これが現代の欧米に見られる『訴訟や裁判』の異常なまでの多さに繋がっていると思います。

義理人情に厚く、卑怯を嫌う日本人には理解し難い事です。

逆に、『大岡裁き』や『遠山の金さん』や『水戸黄門』をこよなく愛したのだと思います。

道具や仕掛けの工夫、直線的思考や二元論的感覚(勝ち負け)など、狩猟民族時代に厳しい風土の中で子孫を繋いで生き延びる為に、彼らならではの生死を掛けて身体に染み込ませ続けで作り上げた、最も基本的な発想だったのだろうと考えます。

彼らにとって『速く見つけて、速く獲物を取る』という事は、『早く見つけて、速く殺す』に繋がり、現代西洋医学の典型的な対症療法である『早期発見、早期毒殺(抗癌剤)』的な発想へ必然的に繋がって行ったと思われます。

彼ら狩猟民族にとって何千年も生き抜くという事は、『自然界に打ち勝つ』、『獲物に打ち勝つ』、そして『周りに打ち勝つ』や『相手に打ち勝つ』という様な概念へとその後どんどんと発展させていったのだろうと思っています。

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