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日本人と「ごはん」と「福耳」の会


日本人から「福耳」が消える日

4-9西洋人の『足し算的思考』と日本人の『引き算的思考』

畑風景

【4-9】

今度も別の角度から、狩猟民族と農耕民族の違いについて考えてみたいと思います。

よく聞く話ですが、西洋人は買い物の清算時に『足し算方式』でお釣りを計算します。

分かりやすい様に日本円で説明しますと、例えば、お店で七千円の買い物をして清算時に一万円を店員へ渡したときのお釣りの導き出し方です。

まず店員が千円札を順番に三枚出しますが、「七千円ね」と店員が言ってから次に「八千円、九千円、一万円」と言いながらお釣りの三千円をお客様へ渡す場合があります。

我々日本人は、日常の中でお釣りの計算を『足し算』ではなく、殆どの方々が『引き算』で解を求めていると思いますが、いかがでしょうか。

また、指で千円、二千円、三千円と数える場合、日本人は誰でも手を開いた状態から、最初に親指を引っ込めてから次に人差し指、中指と引っ込めて数を数えます。

ところがどっこい、西洋人は日本人の逆で手を握り締めた状態から、最初に親指を外に広げて次に人差し指、中指を順番に広げながら数を数えます。

ここにも足し算と引き算を見る事が出来ます。

同じ様に、西洋では『チップ』の習慣が発達しましたが、日本にはその習慣が日常的に殆ど見られません。

このチップも足し算方式をベースに持つ、西洋人ならではのアイデアと思います。

また、西洋ではパーティー形式が多く、日本では座る場所と御膳が決まっている場合が殆どです。

狩猟民族から遊牧民族を基礎に持つ西洋人は、常に移動しながら新しい獲物や草や水を求めた様に、常に『新しい出会い』を求めて会場内を移動します。

常に、新しい人と出会いを重ね続ける事を好み、これも直線的な足し算方式です。

如何に狩猟民族や遊牧民族は、過酷で厳しい風土を生き延びる為の術としての足し算である『出会い』に重きを置く必要性があったのだろうと推測します。

一方の農耕民族である日本人は、最初から席と御膳が用意されていて定住型と言うか土着性が出ていますし、なかなか西洋的なパーティーで初対面の人と話をする事に不向きの方が多いと思います。

農耕民族は移動せずに自分の村の中で一生を送る関係上、出会いは殆ど無く、あるとしたら隣村からの嫁入りくらいでしょうか。

そうなると、村を出てゆく事になる『別れ』に重きを置くように進化します。

別れと言う引き算が一つの村の中で生き抜く日本人にとっては、とても重要で一大事だったのだろうと推測します。

大変大雑把ですが、この様に肉食民族の西洋人と典型的な農耕民族の日本人の間には、常にベクトルの方向が反対を向いている事になります。

何を多く食べ続けたかで、その人や民族の考えや行動に繋がると言いましたが、ここでも同じ様な展開を見る事が出来ます。

狩猟民族時代から陸上の動物を食べ続けて来ましたが、牛や羊を丸ごと一頭全部を一人で一度に食べる事は不可能です。

必ず、部分食になります。

彼ら肉食民族も農耕民族ほどではありませんが、恐らく全体食の重要性を多少は分かっていたと思います。

しかし、現実的に高い生命力を宿す穀物や季節の野菜が食べられない為、風土的条件の中で仕方なく肉食に手を出して生き延びる術を見出したと思います。

恐らく推測ですが、既に死んでいる部分的な肉にはもはや生命力が殆ど宿っていませんので、仕方なく色々な動物の各部分を足し算的に沢山食べる事により、生命を繋ぎ生き延びようと強引に身体を進化させたのでしょう。

そして更に、彼らの後戻りしない直線的思考も重なり、ドイツの栄養学の様にひたすら『栄養素の足し算方式』に発展して行った事も納得出来る結果と思います。

全ての根源は、過酷で厳しい風土を生き延びる為に、食べ物が部分的な肉食中心になったと言う事と、肉の部分食を支える為に直線的思考や行動、部分中心思考や足し算思考、それに二元論的思考が結果的に必要だったと思っています。

根本的なスタートの時点から既に、『部分』を最初に考える様に進化発展して行ったと言うか、二元論を基に直線的で部分的な分析思考から考えないと、全体である大自然や自然界の動物に勝てなかったのだろうと思います。

西洋人の考える栄養学においては、最初から肉食思想があって、この肉食思想を抜きには彼らの栄養学を成立させる事が出来ません。

ですから、狩猟民族から発展した西洋人は、基本的に『見える部分の集合が全体』と言う直線的で物事を単純に考える様に進化し、無意識的に足し算方式が日常生活に定着したのだろうと推測します。

一方の農耕民族の我々日本人は全体食である、米や粟、稗、キビなどの穀物中心で豆や海藻、小魚を食べて生き抜いてきました。

全体食は、沢山のバランスの取れた栄養素か詰まっていて中庸力の塊ですが、それより遥かに大事な『全ての食べ物に目に見えない生命力』が宿っています。

ですから、こちらは逆の方向へ考えが進化してきました。

『玄米が健康に良い』などとよく言われていますが、これも限度の問題と思います。

玄米や他の穀物には、驚異的な生命力や沢山の栄養素がバランス良く宿っていて、これを食べ過ぎてしまうと栄養過剰になり、逆に体調を壊して病気に繋がってしまいます。

我々のご先祖様はこの事を経験的に理解していたので、『如何に食べ過ぎない様にするか』に目を向けたのでしょう。

そして大自然の目に見えない法則を感じ取りながら、早くから循環的思考を重要視していて、食べた物が見えない身体の中を通って、最終的に大便や小便や汗などの排泄物となって体外へ出て行くところに注目したのでしょう。

そうなると栄養を足し算的に沢山取る事よりも、排泄力の重要性を感じ取る様になり、これが農耕民族的な引き算思想へと繋がってくると考えます。

沖縄空手の先生が、「昔、オレ達が習っていた時は、ここがダメ、ここもダメと先生から厳しく言われたもんだ。減点法だった。今は悪いところを言わなくなり、加点法になった。だからダメなんだよなぁ」と残念そうに言っていました。

また、合気道の先生も同じ様に「空手や合気道などの型稽古では、普段の生活の動きと武道的な動きは異なるので基本的な形や考えを教える場合、ダメな処を最初に教えないと自分勝手な動き、都合のいい考えになってしまう」。「自分勝手な動きとは、その人の癖の様なもので、これを無くさない限り武道にはならない」と。

食性の違いが、部分を足していくか全体から引いていくかの違いになり、その民族の伝統や文化、宗教的哲学や考え方の違いに繋がっていると思います。

ヨーガの教えの中に、『腹十二分、医者足らず。腹八分、医者要らず。腹六分、老いを忘れる。腹四分、神(仏)に近づく。』と。

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