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日本人から「福耳」が消える日

4-6遊牧民族の目に見える物への直線的でミクロ的思考と機械文明

羊

【4-6】

狩猟民族から遊牧民族を経る事により、より一層、直線的な思考へ進化発展して行ったと考えられます。

狩猟民族の獲物へ向かう時や、遊牧民族の砂漠や広大な原野で二手に道が別れていた様な状況下では、後ろには戻らずに常に命がけで前に進んで行く行動を通して、その直線的で一方通行的な概念が更に彼らの身体に染み込んでいったと推測します。

農耕的な穀物や野菜などが殆ど得られなかった為に、必然的に肉食民族へ進化適応していく過程の中で、この一方通行的な思考回路を創り出し、遊牧民族や牧畜民族へ進化し、砂嵐や広大な原野における過酷な風土的条件を乗り越え、今日の西洋人(欧米人)へと繋がって行ったと思います。

しかも、そこには常に目に見える物を対象にして発達し、目に見えない部分や理解出来ない現象は『森羅万象をも創り出した神様に委ねる』様に進化して行ったと思います。

この辺から肉食民族の西洋の民は、農耕民族の日本人には理解出来ない様な『目に見えない物は、存在しない物』と考える様になったのだろうと思います。

また、イメージして頂きたいのですが、遊牧の時代に道が二手に別れているというかなり大雑把な仮定の状況で、実際には明確に道が二手に別れている様な事は無かったと思いましが、遊牧民族を想像する事が重要となります。

常に、目に見える二つの道のどちらか一つを選んで前に進み続け、農耕民族の様に目に見えない物を考え続ける暇は無かったというか、そんな事は自然界が許さなかったのでしょう。

何度も言いますが、農耕民族の日本人には理解し難い事ですが、この『目に見える事』が狩猟民族から進化発展した西洋人にとってはとても大事な事で、『目に見える物を追いかける事』が彼らの行動様式の全てに繋がっていると思います。

そこには目に見える片方の道を選んだ結果、目に見える形での牧草や水があり、

それを目に見える家畜が食べて、その目に見える家畜を人間が食べる事を繰り返す事により、一族や民族を絶やさずに子孫を繋いで生き抜く事が出来たのだと思います。

一にも二にも、その場その場で目に見えて分かる『食糧』を目に見える『自分の力』で勝ち取り続ける以外に、その過酷な状況下において彼らが生き延びる術は無かったのでしょう。

狩猟民族時代に目に見える獲物である動物を追いかけ続けて生き抜いた事と、遊牧民族が目に見える家畜である獲物を従い続けて来た事は、一見違う様に見えますが実は一緒で、『目に見える動物に打ち勝ち続ける事』で生き抜く事が出来たのだと思います。

彼らにとっては、『常に、善と悪や良い悪いと二元論的に二つに分けながら、目に見える物を一方通行で直線的に追いかけ打ち勝ち続ける事』が結果的に、目に見えた形での一族や民族の繁栄へ繋がって行ったと思います。

農耕民族の日本人には理解し難い事ですが、目に見える物のみを優先的に追いかけ続けながら、また、自然界の上に君臨する神様を崇め奉る事により、相対的に人間が神様の力を借りてでも自然界の上に立とうとする以外には、彼ら肉食民族は過酷な風土の中を生き抜いて行けなかったのでしょう。

そして、肉食民族の合理的な宗教観が基になって、現代の西洋文明を創り上げたと思っております。

狩猟民族時代から獲物を獲得する為に、色々と仕掛けや道具を工夫し自然界や動物に打ち勝とうとし続け、これが遊牧民族の一方通行的な二つに一つの選択を通して、更に人工的な工夫や機械的な発展に繋がって行ったと思います。

その上、肉食民族である彼らは、羊一頭や牛一頭を丸ごと食べられませんので当然ですが『部分食』を強いられます。

何を多く食べたかで、その人の性格や行動に影響を与えると以前に書きました。

動物の各部分の肉を断片的に食べ続けて生き抜いてきた関係上、物事への考え方もより部分的というか、断片的というか、局所的なところを大事にする様に進化して行きました。

日本人の様な、『自然界と全ての生物は一緒』や『全体(無限大)と部分(無限小)は一緒』的な考えには発展せず、『目に見える部分の集合が全体』と考え、どんどん目に見えるミクロの世界を追いかける様に進んで行ったと思います。

肉食民族が生死を掛けて創り上げたミクロ的で論理的な概念が、結果的にイギリスで起こった産業革命へと発展し、現代の先端技術や便利な機械文明へ直接的に繋がって行ったと思います。

ここでまたイメージして頂きたいのですが、例えば車や携帯電話ですが、時代を追うごとにどんどん進化しているのが誰でも目に見えて分かると思います。

「最先端技術て凄いなぁ」、「今の科学てのは凄いなぁ、もうここまで解っているのかぁ」と、誰でも普段から当たり前の様に感じていると思います。

戦前戦後の車と最近の車とでは、その性能や居住性、運転のし易さ、安全性など上げたら切りが無いほどの違いというか、月とスッポン状態です。

当然、昔の車も良いところがありますが、どちらを選ぶかと聞かれたら現代の車と答えると思いますが、皆さんいかがでしょうか。

近未来には、『誰でも宇宙旅行』に行けそうなくらい高速に宇宙開発が進んでいる様です。

では何故、この様にイギリスから始まった産業革命以来、急激に機械文明が発達したのでしょうか。

そこには肉食民族の食性と自然観を基に、二元論と一方通行的で直線的な後戻りをしない考え、そして、目に見える部分の細分化(局所化)と論理的思考が大きく関係してくると考えます。

狩猟民族から遊牧民族を通して、その過酷で厳しい風土の中を『肉食の部分食』中心に生き抜いた彼らがこの基礎である土台を作り、結果的に、西洋人であるイギリスから産業革命が起こったと思います。

ですから、人工的により良い物やより良い製品を作る為に必要な、二元論と一方通行性と細分化と論理性を無くしては、産業革命までは進まないと思っております。

車の各部品に例を取ると、二元論を元に必ず、良いものへ良いものへと作り変えたり、部分的に悪いものは捨てて良い物と取り換えたりして先へ先へと進んで行きます。

あたかも砂漠や原野の別れた二つの道の一つを選び続ける様に、どんどん細分化されながら良い悪いと優劣を付けながら先へ先へと進んで行きます。

これもかなり大雑把な考えですが、これが現代の先端医療技術や化学や科学技術などの、目に見えた形での成果へ発展して行ったものと考えます。

残念ながら、穀物中心の全体食をする典型的な農耕民族である日本人の一元論的な自然観では、この様な産業革命的な事は永遠に起こらなかったのだろうと思います。

簡単に言うと、肉食民族である西洋人に引き継がれた二元論的自然観のみが

『目に見える機械の世界』に適している為、現代の高度な技術や便利な機械文明へと繋がりました。

一方の典型的な農耕民族の日本人は、一元論的自然観を基に

『目に見えない心や生命力、気などの生命体の世界』を発展させて行く事になりました。

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